AES 2014 ショーレポート 1Dayで意外な話題となった Gibson Les Paul reference speaker。
Gibson Les Paulギターにインスパイアされたトラ杢アーチドトップ&サンバースト塗装のフロントマスクが特徴のリファレンスモニタースピーカー。スピーカードライバーはすべてカスタム仕様。D級アンプを搭載しこれらは全てKRKチームが開発してます。
この記事を作成現在Webに情報も出回っておらず、詳細を求める声を多くいただきました。
詳細情報が入り次第また追ってお知らせしますが、それまではこの動画をご覧ください。
革新の人、Les Paul
さてこの「Les Paul(レスポール)という名前。Gibson社の象徴とも言えるこの美しいギターの事を指しますが、それと共に、いやそれ以上に重要な意味を指すことはあまり多く知られていないかもしれません。
もともとこのレスポールギターはギタリストであり発明家の Les Paul 氏のために作られた、いわゆるアーティストモデルとして生まれました。
Les Paul 氏(本名Lester William Polfuss)は享年94歳。 2009年 8月13日(ニューヨーク時間)にニューヨークのホワイト・プレインズ病院で肺炎のため逝去するまでの間、ミュージシャンとして輝かしい功績をいくつも残しています。
● 50枚のシングルと35枚のアルバムを発表。累計3000万以上の売り上げ。
● 5度のグラミー賞受賞
● 1988年、ロックの殿堂のアーリー・インフルエンス部門に殿堂入り
他
しかしLes Paul 氏が音楽史に残した功績はこれだけに留まりません。彼は発明家として、レコーディングと音楽の歴史までも切り開いたのです。
8tr マルチレコーダーの生みの親
今やレコーディング技術の基本中の基本、マルチトラックレコーディングの元祖となる機材を発明したのが彼 Les Paul 氏です。
彼は10歳代の時にギターやレコードカッティングマシンを自作するなど、物作りへの情熱持っていました。(多岐に渡って技術を習得していたバックボーンがあったんですね。)
1948年、マスターテープにライブ演奏を一発録音する手法が主だった音源制作の時代に、33歳のLes Paul 氏は改造レコーダーを使って今でいう「オーバーダビング」で音を重ねる手法の録音を始めます。
そして1949年、Bing Crosby 氏からAmpex 200 2trテープレコーダーを譲り受けたLes Paul 氏はそれを改造。8trのマルチトラックの原型となる機材を作り上げ、世界初のマルチトラックレコーディング音源「Brazil」をリリースします。
シンセサイザーのような音はテープ側でピッチを変えて録音されたLes Paul 氏のギターの音色です。
そしてこちらはマルチトラックレコーディングを紹介する当時のTV番組。1951年に妻のメリー・フォードと共に大ヒットを飛ばした「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」が演奏されています。(演奏はあてぶりのようです)
レスポール氏の持っているゴールドトップ P-90搭載の最初のレスポールギターが1952年にデビューしたのでその辺りの時代に録画された映像のようです。実稼働するカスタムテープマシンも見ることができますね。
夫婦が奏でる美しいメロディ。歌手一人の声を多重で重ねてハーモニーを作る行為が当時どれだけ衝撃的だったかは計り知れません。今では当たり前となったこのサウンドも当時は「前代未聞の最新サウンド」として取り沙汰されました。
この発明の功労からles Paul 氏は National Inventors Hall of Fame(発明家の殿堂)へミュージシャンとしてただ一人殿堂入りしています。
★ National Inventors Hall of Fame
http://invent.org/inductee-detail/?IID=225
そして エンジニアリングと共に音楽の道を切り開いた彼はAESのメンバーでもあります。
この他、箱ものギターしかなかった1940年代にソリッドギターの原型を発明したり(これは諸説あるので詳細は割愛)、アナログディレイの原型を作ったりと、今のサウンドの基礎を作り上げた一人として活躍しました。
亡くなってもなお賞賛されるLes Paul 氏の功績を次世代に残すべく2013年に「Les Paul Foundation(レス ポール財団)」が設立されました。
Les Paul Foundationのミッションは『音楽教育、エンジニアリング、技術革新だけでなく、医学研究を支援を通してレスポールの遺産を共有することで、革新的で創造的な思考を刺激すること(公式Webサイト)』とあります。
具体的には青少年に対して、音楽教育やサウンドエンジニアリングプログラム、そして聴覚障害に関連する医学的プログラムへの助奨学金を提供しているとのこと。(1970年に友人のイタズラから鼓膜を破ってしまってしまい治療に3年間を費やした経験から、彼は聴覚障害への関心も持っていました)
94歳でこの世を去る数ヶ月前までステージでギターを弾き続けた、彼の音楽への愛情を後世へもつなげる活動が今日も続いています。
※彼の音楽愛が窺い知れるこんな逸話があります。
1948年、Les Paul 氏は大きな交通事故に遭い右腕と肘を粉砕骨折。あわや腕を切断というところで医師を説得しそれを免れました。
その時右手を90度曲がった角度、つまりギターを弾く角度で固定させたそうです。それ以来、彼の右手はそのままギターを弾く形で曲がったままになっていたそうです。
エレキギターの父、サウンンドエンジニアリングの父、現代ポピュラー音楽の父、Les Paul 氏。いまこうやって彼を振り返り、感謝と尊敬の念をいだかずにはいられません。
ソリッドボディのギターをつま弾く時、DAWでハーモニーを重ねている時。新しいことにワクワクした表情で好奇心に情熱を燃やしたLes Paul 氏の事を思い出してみてください。あなたにも素晴らしいひらめきが生まれるかもしれませんよ。
Writer IH Tomita
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