音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。第13回目は、surface 永谷喬夫さんです。

surfaceは現在ソニー・ミュージック・レコーズからヒットチャートへと楽曲を送り込む椎名 慶治(ボーカル)さんと永谷 喬夫(ギター)さんの2人組ユニット。今年の5月にデビュー10周年を迎え、永谷さんはギターの他、プログラミングやエンジニアリングも手がけられ、機材にかなり造詣が深い方として、弊店スタッフとも早い時期からおつきあいさせて頂いています。都内某所のスタジオにお邪魔してお話をお伺いしました。

2008年7月31日取材

ファミコンは改造派 -メカ好きな少年時代-

Rock oN:音楽に出会った頃のお話からお伺いできますか?

永谷喬夫氏(以下 永谷):最初に楽器に触れたのは3歳の時で、姉がピアノをやっていたのがきっかけです。それからピアノはずっと触り続けていましたが、小学生になるとファミコンに熱中するんです。でも、ゲームをするよりも、改造だとかソフトをコピーしたりだとかの方が大好きな子供でした。まわりにはそんな子供はいなかったので、結構不思議がられていました。

4年生の頃、ファミコンの改造の本を読んで秋葉原の存在を知り、ハンダ付けも自分でやるようになってました。「ハンダごても色んな種類があるんだ。」というような知識も秋葉原で知り、学校の技術の時間でもハンダ付けの授業がありましたが、「500円くれれば全員分やるよ!」というような子供でした。意外と男子でも「こんなのできないよー。」とめんどくさがる子が多かったんですよ(笑)。近所の模型屋のおじさんによくしてもらって、色々教えてもらい「これがいいんだよ。」といってL型のハンダごても使ってました。もちろん、ガンプラやラジコンの組み立てにもハマってましたね〜。そういう子供だったので今でも機材についてとなると、どうしてもアドレナリンが上がっちゃいますね(笑)。

スタジオに入って来てまず目に飛び込んだ数々のWindowsマシン。それも見るからに自作みたい。。。予想通り永谷さんはそっち系(メカ好きということです)のミュージシャン。まさに、このコーナーにうってつけの方!!展開が面白くなりそうです。

〜プログレ・多重録音青年時代〜

Rock oN:かなりメカ好きな子供だったんですね。ギターは?

永谷:ギターは「女の子にモテたい」という感じで、小学校の友達のお兄さんに教えてもらって始めました。今も、古いコンデンサーに変えて音を丸くしたりとか自分でやるんですが、ギターのテクニシャンの方とは話が盛り上がることもあれば、ケンカになる時もあります。それぞれ好みというのがありますからね〜(笑)。

最初に買ったギターは、お茶の水の楽器屋さんで無名ブランドのストラトでした。中学2年生の時にドラムとベースをやってる友達がいたんで、BOOWYやブルーハーツのコピーバンドをやってましたが、どちらかというと家に居て、ずーっとギターを弾いたり、ゲームしてたりするような子供でした。ギターもピック・アップ、ボディ、ネックを変えたりと改造して、お小遣いはほとんどギターに費やしてました。

きっかけは失恋?? -surfaceの始まり-

永谷:高校になって軽音楽部に入るんですが、なぜかその部は女の子ばかりだったんです。文化祭になると「この曲が歌いたい」といって女の子達が持ってくるのがドリカムとかなんですが、テンションコードを使ってたり、CDで演奏してるのが外人のスタジオ・ミュージシャンだったりして、自分で弾いてみると結構難しい!それまで僕が聞いてたアメリカン・ハードロックにはない奏法やリズムなどを練習してジャンルの幅が広がり、結構勉強になりました。

高校2年生の時に、3年生の椎名君と出会うんですが、彼は軽音楽部じゃなく文化祭のいわゆる“誰でも出ていい枠”に機材を持ち込んでオリジナルの曲を演奏したんです。その時、僕はPAをやってたんですが、「こんなに歌が上手い人が同じ学校にいるんだ。」と思って、1週間後「一緒にバンドやりませんか?」と声をかけに行きました。その年、卒業生を送り出す予餞会に出たんですが、ボーカルが椎名君、ベースは僕が当時付き合ってた女の子、加えて、キーボードの男の子と打ち込みのドラムという編成で無事終了し、3年生だった椎名君は卒業となったんですが、その後、なぜか僕と付き合ってたはずのベースの子とキーボードの男の子がデキてたというショッキングなことが判明してですね(笑)、残された僕はとても頭に来て、椎名君に「もう、2人だけで一緒にやりましょうよ!!」と電話したのがsurfaceの始まりですね。

(一同笑)

Rock oN:2人だけで始めるにあたってデモを作り始めたんですか?

永谷:そうです。「俺たちがやるべきことはオリジナルの曲を作ることなんじゃないか。」という話になり、僕はそれまで、YAMAHAのカセットMTRとシーケンサーのQY-10を使ってギターを録ったりと、なんとなく使っていたレベルなんですが、一方、椎名君は僕よりもっとすごいゲーマーで中学生の時からMSXを持っていて、MSXのシーケンス・ソフトを使って曲を作っていたらしいんですよ。すぎやまこういちさんみたいなゲーム音楽の作曲家になりたかったらしいんです。

でも、オリジナル曲を作るにあたって「2人が持っている機材じゃどうしようもないな。」ということになり、なんと、椎名君のお母さんがすごくいい方で、「あなた達、真剣にやるんだったらお金を出してあげるから機材を買いなさい。」と言って下さり、YAMAHA QY-300と中古の8トラックMTRのTASCAM 688を手に入れたんです。そこから僕らの活動が軌道に乗り出し、必ず毎週土曜日に僕の家に集まって曲を作るということをデビューまでずっと続けたんです。

当時、僕は曲が作れなかったので、手取り足取りな感じで椎名君に教えてもらったり、サウンド&レコーディングマガジンを読んだりして、打ち込みやレコーディングの知識を増やしていきました。19歳になり、ずっと部屋に閉じこもって曲作りばかりしてるんじゃなく、「外に出て僕らの曲を人に聞いてもらおう」ということになり、オーディションに応募することにしたんです。

Rock oN:目標はデビューすることだったんですか?

永谷:いや、とりあえず人に聞いてもらい、「いい」とか「よくない」といった評価を聞きたかったんです。それで、サンレコに載っていたソニーのオーディションに作品を送ったんですが落ちてしまい、それがきっかけで僕は、なにを血迷ったか、ALESIS ADAT、YAMAHA PROMIX01、Roland JV-1080を一気に買い揃えたんです。それで、「よし、もっと曲を作ろう。」と決心して曲を作り、またまたサンレコに載っていたAXIAオーディションに送ったんです。1位の賞金が100万円ということに惹かれた部分もありますが(笑)。

審査結果がサンレコに掲載されるんですが、ドキドキしながら発表のページを見て、「あった〜、名前が〜!!」と2人で喜び合いました。2次審査も通過し、最終審査まで残り、最終審査の発表があった渋谷の会場まで行きました。グランプリ以外にも幾つか賞があったんですが、残念ながら僕らは何の賞ももらえず落選。2人ともがっかりして、そんなこと初めてでしたが帰りの電車では椎名君と一言もしゃべらずでした。「俺のせいじゃねぇよ。」みたいな異常な嫌悪感さえあったんです(笑)。その後しばらくして椎名君から、「一緒に作業してるのを休まないか?」と電話がありました。けっこうショックが大きかったんですよ。

その後、僕はバイトを続けながらMacintosh LC630、Mark Of The Unicorn Performer、AKAI S2000、Propellerhead Recycle!を買いました。特にRecycle!の便利さにはびっくりしました。ビョークの“POST”やスクエアプッシャーが出てきた頃で、坂本龍一さんのアルバム“sweet revenge”も好きで、テイ・トウワさんやトミイエ・サトシさんも、すごいなーと思って聞いてました。

偶然は必然?? -メジャーデビュー秘話-

Rock oN:好きな音楽の路線が変わってきたんですか?

永谷:そうです。サンプリング主体の音楽が好きになって、クラブにも出かけるようになり、色んな音楽を吸収してました。で、その頃、AXIAオーディションの主催の1つだったリットー・ミュージックから「ある事務所が君らに会いたがっています。」という電話があったんです。

Rock oN:コンテストの最終発表からどれくらい経っていたんですか?

永谷:4ヶ月くらい(笑)。すぐ椎名君に電話して伝えたんですが、「ぜったいヤバいよ、俺たち騙されるんじゃない?」とか話して(笑)。とりあえず、待ち合わせ場所の赤坂の喫茶店に行ってみたら、リットー・ミュージックの担当の方がいらして、今の事務所のオフィスまで行き、社長に会うことになったんです。社長から「お前ら、生活はどうなんだ?」と聞かれて、「いっぱいいっぱいっす!」と答えて(笑)。

(一同笑)

永谷:「うち入るか?」と聞かれ、「次に会う機会まで新しい曲があるなら聞かせてくれ」となったので、2人はしばらく何にもやってなかったんですが、家に帰ったら「曲作ろう!曲作ろう!」となって。

(一同笑)

永谷:それまでちんたらやってたのが、次に社長に会うまでの2週間で5曲くらい作っちゃって(笑)。

経緯を話すと、最終審査委員の中に武部聡志さんがいらしたんですが、武部さんと社長は長い付き合いらしく、リットー・ミュージック経由で僕らのデモテープを聞いていた社長と、審査員だった武部さんが、たまたま仕事中に話してる時に「最近気になっているアマチュアがいる」という話題になり、偶然にも僕らのデモテープを各々が別々に聞いてたそうなんです。「じゃあ武部さん、あいつら面倒みてやってよ。」ということになり、そこから1年半くらい、武部さんにお世話になり、曲が出来たら聞いて頂き、アドバイスを貰って作り直したり。。。ということを続けました。

「スタジオでレコーディングも行ってみよう。」となって、青葉台スタジオで、なんとドラムが青山純さん、ベースが武部さんというメンバーで行ったんです!でも僕はボロボロでした(笑)。涙が止まらなくなって大変だったんですけど(笑)。その後、武部さんから離れて、21歳の時にセルフ・プロデュースというかたちでデビューをしましたが、その1年半くらいの期間に、本当にたくさんのことを学ばさせて頂きました。

Rock oN:レコーディング機材の変遷は?

永谷:最初のハードディスク・レコーダーはRoland VS-880を使ってましたが、事務所に入ってから1、2ヶ月経った時期にPower Macintosh 7600、KORGのサウンドカード1212 I/OとCubaseを買いました。1212 I/OがCubaseにしか対応してなかったということもあり、MIDIシーケンサは使い慣れたPerformerで、オーディオ・レコーディングはCubaseで、というスタイルでやっていました。その後、Digital Performerが1212 I/Oに対応したので移行して、ミキサーもYAMAHA 02Rにアップグレードしました。

Pro Tools 24MIXはデビューして3年目頃に買いましたが、最初はDigital Performerで動かしてました(笑)。その頃は覚える気がなかったんでしょうかね〜(笑)。どこのスタジオにもPro Toolsがあるようになってからは、「Pro Toolsを触わんなきゃ。」と思って覚えましたけどね。

今、このスタジオではWindowsでNuendoを動かして使ってますが、5、6年くらい前にNative Instrumentsなどのソフトシンセが世の中に沢山出て来てきた頃、自分の「メカ好き」な部分が刺激されて、Windowsで音楽マシンを秋葉原で組んでもらい、それからはまっちゃいました。

Universal Audio UAD-1とt.c.electronic PowerCoreがPCIカードシャーシーにそれぞれ3枚ずつ組み込まれており、Nuendo上で使用。UAD-1とPowerCoreの音質をかなり評価されており、Pro Toolsから離れるようになった一因でもあるとか。

LAN接続された1台のWindows PCにはSteinberg FX teleportをインストールしてソフトシンセやプラグインを立ち上げて、Nuendoを動かしているメインマシンのCPU負荷を分散させている。

3度の胃潰瘍まで経験 -プライベートスタジオの変遷-

永谷:一時期、ある音楽学校にいる親しい方から、校舎一角のスタジオを壊して売るということで、「もしよかったら使わない?」とお話を頂いたんです。そこを改装して2年間くらい、自分のスタジオとして使っていました。スタジオと言ってもプライベートな場所だったので、アシスタントがいる訳でもなく、密閉された空間で僕独りで作業をして、食事をして、そこで寝て、また起きて。。。「今何時だ?」、「あー、作業やんなきゃ。」という感じで、そんなことを繰り返してたために胃潰瘍に3度もなってしまったんです。

それでそこのスタジオが嫌いになって(笑)、自宅に戻り、その後、この場所を作業スタジオとして使っています。僕が一番らやなければいけない事は曲を作ることなので、このスタジオでは、作曲やアレンジのアイデアなどを練ったりします。録りに関しては、ギターやボーカルなど、簡単なことまでにとどめておき、後はレコーディング・スタジオですね。

10年経ったからこそ実感 -レコーディング・スタジオの重要性-

Rock oN:今年でデビューして10年ですが、当時との違いはありますか?

永谷:10年前は思ってなかったんですが、10年経ってみて思うのは、やっぱりレコーディング・スタジオという場所の重要さなんです。一度離れた武部さんとまた最近ご一緒させて頂いているんですが、10年前に武部さんに習った事柄が、すごく理にかなった事だということが、今、本当に実感できるんですね。武部さんはファーストテイクに集中して演奏することに異常なまでこだわられるんですが、「プロの仕事の早さ」という問題を考えた時、「ただ早い」ということじゃなく、それは「旬を逃さない」ということなんですね。

僕は料理をすることが好きなんですが、大事なことは、いい素材を吟味して準備し、その「うまみ」を逃さないように、さっと調理する。両者結構似ていて、演奏の「この瞬間にかける思い」を逃さず録って、いい音楽を作る。そういうことだと思いますね。ベテランの方々のレコーディングに対する姿勢は「やっぱり凄い」と思いますし、まだまだ沢山見習いたいことがあります。吸収することがまだまだ多いんです。最近、予算の問題で大きいスタジオが無くなったりしていますが、レコーディング・スタジオという場所に、尊敬できる方々と集まって一緒に音楽を作りあげるということは、とても大切なことだと思うんです。10年経って、本当に実感して思うことですね。

Rock oN:今後の予定や目標はありますか?

永谷:10月にニューアルバムを出すので、今、レコーディングしています。機材的なことですと、個人的にPro Tools | HDを購入したい。。。かな。嘘かも??(笑)。まあ、「スタジオに行くんだからHDいらねーじゃないかよ!」とつっこまれそうですが(笑)。最近、またMacを買ってみたんですけど、Leopardは良くできてると思いました。それでもう一度、Macに戻ってみようかなという気持ちが最近湧いてきてるんです。このスタジオから外へ出て、作曲作業とは別として、友達のスタジオ・ミュージシャンのドラムの生録などをやって、エンジニア的なことも吸収したいなと思ってます。

Rock oN:最後にですが、永谷さんにとって音楽とは何でしょうか?

永谷:すごく僕を成長させてくれるものですね。今、僕がここにいるのも音楽のおかげですし、時には「もうやりたくない。」と逃げ出そうとした時もあったんですが、「僕らが作った曲ですごく励まされた。」とファンの方々に言葉を頂いた時、嬉しくて「もっとがんばろう!」と思いました。音楽と会って良かったなと思います。音楽をもっと大事にして、これからもがんばって行こうと思ってます。

10年というキャリアを経ても「さらにもっと吸収したい」、「音楽家としてもっと成長したい」といった先輩の方々に対する尊敬を露にされる姿勢と、「メカ好き」少年だったと言う通り、新しい機材に対して好奇心旺盛な姿勢。その両方がバランスよく共存された方でした。個人スタジオという閉じた空間で作曲作業をされていますが、機材そのものに偏ってしまうことなく、スタジオ作業を最終的に見据え、チームワークや人間の和というものを大切にして曲を仕上げる。surfaceが多くのファンに支持されている理由が、永谷さんのそういった姿勢にあるのではないでしょうか。

このコーナーでは、音を作り出す活動をされている方の出演を募集しています。ミュージシャン、サウンドエンジニア、作曲家、アレンジャー、はたまた音効さんや声優さんなどなど。音楽機材に興味を持っているかたなら、なおOKです。お気軽に、下アドレスまでご連絡下さい。また、ご感想、ご希望等もお待ちしております。連絡先アドレス : store-support@miroc.co.jp

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