音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。第9回目は、 サウンドエンジニア 赤川新一さんです。

ご自身のスタジオSTRIPを拠点にしたエンジニア活動をメインに、ミックス・バッファーやFine Focusケーブルなどの製品開発への関わり、そしてサウンド&レコーディングマガジンへのレビュー、連載等を通して、真のプロフェショナルなイメージがある赤川さん。筆者も「赤川式自宅スタジオ構築バイブル」の読者であることもあり、興味深い機会となりました。学芸大学駅近くのSTRIPまで、お話をお伺いに行きました。

2008年3月5日取材

エンジニアへの関門は親戚100人を説得?

Rock oN:音楽に接したきっかけを教えて下さい。

赤川新一氏(以下 赤川):僕が産まれた環境は、新潟の田舎の大家族で、親父の兄弟が6,7人いて、その家族も含め全部で十数人が同じ家に住んでいたんです。その中に音楽を聞いている人が2人いて、当時の家具調ステレオを持っていたんです。それを勝手に使って、転がっていたレコードを聞いていたというのが始まりです。

田舎なので、意外かもしれませんがビートルズがあったり、ミッシェル・ポルナレフみたいな当時のポップスのレコードがありました。60年代後半ですね。その後、中学1年でバンドを組んで、僕はドラムでした。おじさん達がドラムキットを買って自宅に置いていたというのがきっかけとして大きいです。代々音楽をやっていた家系というわけではないですけど、新しいものが好きな人がいて、そういうことをやっても許される空気がありましたね。だから、その時から機械をいじるのは好きでした。工具とか見るとたまんない子供だったので、自転車をばらばらにして怒られたりとかしてました。

中学1年になったらオーディオ・コンポーネントを買おうと思って、親父に「アルバイトさせてくれ。」と頼んだんです。「アルバイトは無理だけど、牛乳配達や新聞配達ならいいだろう。」ということになって牛乳配達を始めたところ、どうしても我慢出来なくなって、アルバイトを始めた直後にかかわらず「働いた金で返すから金貸してくれ。」と頼み込んで、アンプとレコードプレーヤーを買い、スピーカーは自分で組み立てたんです。

中学1年でバックロード・ホーン(下記 注)の1番でかいやつを作るんですが、道具はノコギリしかない。1回やってみるとわかるけど、合板をノコギリで切るのがどんなにつらいことか! 中学生なんですが、街まで車を勝手に自分で運転して材木屋まで買いに行ったんです。

(一同笑い)

Rock oN:音は出たんですか?

赤川:ばっちり出たよ(笑)!小さい頃から何でも自分でやるというのが基本にありましたね。

こういう、普通とは違ったエピソードを伺うと、赤川さんの現在のDIY精神的な活動に繋がり納得します。話は、エンジニアとしてのキャリアスタートへ移ります。

※注 バックロードホーン型 : スピーカーユニット後方から発生する音をホーンによって増幅する方式のスピーカー。長岡鉄男氏がフォステクス社フルレンジを用いた製作例を多数紹介しているのが日本では有名。自作用の専用キットが発売されている。

「将来、仕事何しよう?」なんて悩んだ事ないですよ。中学生の頃には「ミキサーになる」と思ってました。

Rock oN:赤川さんのキャリアのスタートは音響ハウスですよね。入社試験がありますよね?

赤川:もちろんありますよ。音響ハウスに最初から入るつもりだったので、音響ハウスに1番多く入っている専門学校を調べました。新潟から東京に出てくる時は大変だったんです。農家の長男なので家を継がなければいけないという事情がありました。家を継ぐことは弟にお願いして了承を得たんですが、出てくる時は親戚じゅう100人くらい集まって大騒ぎになりました。一人一人お酌しながら「行かして下さい。」と頼んだんです。家を継がないことの許可と共に、僕の覚悟の本気具合を確かめたんでしょうね。小さい頃から機械いじりなど変わったことをしていたので、一度言い出したら止めるには無理だろうと思ってたんでしょうが。高校〜専門学校〜音響ハウスと、自分はそこに必ず行くという前提で、1つしか受けてこなかったんです。

当時、音響ハウスでレコーディングしたLPが、1番音が良かったんです。井上陽水、深町純、村上ポンタ秀一さんのソロなど色んなLP聴いて「音がいいな。」と思い裏を見ると"音響ハウス"と書いてある。「間違いなくここは日本一だ。」と思いました。1番音が良かったところに行きたかったんです。

Rock oN:好きなミュージシャンの作品であるということと、そのLPの音がいいということは、その当時は区別してましたか?

赤川:音がいいってことは音楽がいいってことなんですよ。そこは昔も今も区別してないですね。音楽が良ければ絶対音は良くなってる。自分にとって「音がいい」という基準は、自分が「いい」と思うかどうかだけです。オーディオ的に音がいいということじゃなくて、そこに快感を生み出す要素があれば、音がいいと自分は感じます。ヴァン・ヘイレンの1枚目は衝撃的に音が良かったけど、それは音楽の内容が良かったからですよ。歌謡曲で音が良くてよく聞いてたのは岩崎宏美です。あの頃の中では飛び抜けて音が良い。たぶん内沼さんの仕事だと思うんだけど。。。

音響ハウス入社、そして最大のピンチを乗り越えて

Rock oN:専門学校の頃から、細部にこだわるような、エンジニア的な耳でLPを聴いていたんですか?

赤川:いや、まだ当時はそういう聞き方はしてなくて、アーティストの作品として聞いていただけです。パーツの音に耳を凝らしたり、演奏のミスに注意したりといった細部にこだわるような聞き方はしてなかったです。まあ、今も別にしてないけど(笑)。音響ハウスの入社試験は大変でしたよ。一般教養、専門科目、論文のテストがあって、面接が2、3回あったかな。

Rock oN:かなり狭き門ですよね?

赤川:そうですね。面接で覚えてるのは、「麻雀やるか?」と「彼女はいるか?」と聞かれたことくらいかな。事実、入ってから麻雀はやらされましたけどね。少ない収入の中から、毎月2、3万抜かれるんです。

(一同笑い)

入ってすぐやらされたのは掃除。下手したら飯も出ないので、コーヒーなんかもらえたら大喜び。掃除した後に、セッティングの手伝いをやって、時間があれば現場の後ろに立って見てていいんです。用事を言い渡されれば、それをやって。そうやって仕事の流れが見えてくる。という話なのかもしれないけど、実際はそうは行かなくって、まあ、大して何にも分んないままアシスタントになる。あの頃のアシスタントって本当に大変だった。レコーダーはアナログだし。パンチイン1つとっても難しいし、一発録りばかりだから。

例えば20人編成で一発で演奏して録った後に、パーカッションの人が「シェーカーだけ差し替えて。」と言ったら、どの部分でシェーカーを演奏してたか覚えてなきゃ出来ない。「シェーカーどこですか?」って、聞けない雰囲気なんです(笑)。「Bからパンチインして。」と言うようになったのは、割と最近のことですよ。今はアンドゥもあるからねぇ。現場はみんな優しいですよ。ミュージシャンも「Bから録り直したいんだけど、半拍前に休符があるからそこで入れてくれる?」みたいな感じで言ってくれる。

Rock oN:赤川さんご自身の失敗はありましたか?

赤川:もう、山のように。。。会社、首になりかけたこともあります。前日に録ったパーカッション10チャンネルを2チャンネルにバウンスしたものをトラックシートに書き忘れていて、翌日、そこに歌を録っちゃったんです。「パーカッションが出ねぇ。」という話になって。。。最大のピンチですね。

Rock oN:どうやって切り抜けたんですか?

赤川:切り抜けれない!もう必死に謝るしかないですよ!その現場から外されて、部長に「クビだ。明日から来るな!」と言われたんです。「終わった。。」ってやつですよ。

(一同笑い)

ひとしきりトイレで泣いて考えて、親戚100人に送り出されて田舎から出て来た手前、帰る訳にはいかないので、もう1回頼むしかないだろうと思って、音響ハウスの1番偉い人から順に「どうかもう一度チャンスを下さい。」と謝ってまわったんです。それでなんとかクビは免れたんですが、それから3ヶ月間は何もやらせてもらえなかった。何かやってないといけないし、きっと様子を見られてるなと思ってずっと掃除してましたけどね。パッチ磨いたりして。。。

Rock oN:そのまま逃げなかったというのは、今の、若い人の多く見られる感じとは違ったわけですが、

赤川:僕の場合、常に退路を断って進んで来たというのがあったかな。就職試験も1社しか受けなかったので、そこに合格しないと、もうだめなんだという所に自分を追い込むというね。

Rock oN:じゃあ、いよいよエンジニアデビューのお話を。

赤川:その3ヶ月の空白の直後くらいですよ。アシスタントになった最初の年ですが、鈴木慶一さんプロデュースの鈴木さえ子さんのアルバムで、すごく難しいタイミングでパンチインしなければいけなかったんだけど、すごく上手くいっちゃって慶一さんに褒められた。そこでぱたっと気分が入れ替わっちゃんです。「なんだ、出来るぞ!」みたいな感じになった。それ以降は、難しい内容も普通にこなせるようになったんです。その頃はミディ・レコードの制作数がすごく多い時期で、ミキサーの数が足らなくなるほどだったんです。間に合わなくなるとアシスタントの僕が歌を録ったりしてました。

あの頃の特徴かもしれないけど、演奏し終わった後にミュージシャンが「どう?」ってまわりに聞くんですよ。テープをプレイバックして自分で聞いて判断するようになったのはその後になってからのことで、あの頃は「演奏どうだった?」と聞いてくる。現場には、僕以外にディレクターもいなければ、ミキサーもいないので、僕が何か答えなければいけない。そこで、間の抜けたことを言う訳にはいかない。演奏がずれてるとか音が違ってるとか物理的にわかることを、普通に言うんじゃなくて、実力あるミュージシャンが「どう?」と聞いてきてるからには、音楽的に良かったか悪かったかを聞いてきてるんです。

Rock oN:今は、演奏後はコントロール・ルームに行ってプレイバックをチェックしに戻りますよね。

赤川:そうですね。当時のテープ時代は、録ったテイクを残すかどうかという判断をその場でしなければならないので プレイバックを聞いている時間も惜しいということがあったかもしれない。刀を突きつけ合ってるようなシビアな空気でしたよ。でも、“プレイバックを聞かない”というスタイルは今でも好きだな。録ってる時の印象で話し合って決める。アナログ・レコーダーは最も扱いにくかったTelefunkenを、デジタルは32トラックの3Mを使ってましたね。大変でした。。。

アシスタントとミキサーを掛け持ちしてやってましたが、エンジニアとして僕を指名してくる仕事が来ても、人がいないという理由で会社に断られちゃうこともあったんです。しょうがないんで「アシスタントいらないから1人でやらせて下さい。」と言って、スケジュールを埋めていったりもしたんですが、どんどんハードになっていく。26歳で音響ハウスを辞めました。まあ、それは単純に収入の面からの理由なんですが、「そろそろ辞めても大丈夫だな。」と思ったんです。その頃に「鈴木慶一さんが会社作るからウチ来ないか?」と誘われたんで、フリーになってそこに所属したんです。

基本は新しもの好き 〜コンピューター導入〜

Rock oN:その時点でコンピューターは?

赤川:そのちょっと後にDigidesign Sound Designer IIが出て来ましたね。カードのAudio Media IIが出てきて、デジタルインプットが付いたんですがそこから意識し始めましたね。

Rock oN:当時のデジタルの印象は?

赤川:印象は悪かったですよ。でも、アナログに対しても印象がいいわけではなくて。。アナログは、録ったら音がなまる。デジタルはなまらないんだけど、音が硬くて冷たい。コンピューターベースに行ったという1つには、アンドゥが効く。これに尽きますね。録ったものをできるだけコピーしないで、そのままCDにした方がいいんじゃないかという単純な思いもあった。ハーフ・インチのテープにしても、コピーしたとたんに音が変わってしまう。

プロの現場でコンピューターベースになったのはまだ後で、Audio Frameが出た頃にまわりが使い始めて「音いいな。」と思いましたね。アナログで録ったトラックは、ミックスまでに何度も再生すると音がなまってくるので、ドラムのトラックだけ最初の段階でパソコンにコピーして置いて、一番最後にシンクしてドラムトラックだけパソコンから出すと、パッという感じで音が良くなる。「劣化しない方法は何かないか?」というのがその頃のテーマでした。

コンピューターベースのシステムは、当時スタジオに置いてなかったので、自分で購入して持ち込んでいたんですが、抵抗した人たちも居たのかもしれないけど、アンドゥが出来るということでみんな面白がるんですよ。あと、編集も自由だしね。

一番最初にAudio Mediaを使ったのは、飛鳥ストリングスのレコーディングだったけと、「便利だねー」とみんなで言ってた記憶があります。音に関しては、自分で事前に警戒してたこともあってB&Wのスピーカーを借りた記憶があります。Westlakeだと、デジタル録音したストリングスは嫌な音がすると予測してたので。

Rock oN:チャレンジャーですね。当時はスタジオにAudio Mediaは、なかなか入らなかったですよね。スタジオでちゃんと認められてきたのは、HDになってしばらくしてからじゃないですか?本当に最近のことですよね?

赤川:そうですね。Mix Plusなんてスタジオにどこにも入らなかった。Mix Plusは出てすぐに、個人で買いましたが、本当に沢山の現場に持ち込んだ。結構したなー。トータルで600万くらいかかったんじゃないかなぁ。20代の後半の頃だけど、経済面では、バブル全盛の時代で値切られることもなかったし豊かでしたよ(笑)。音響ハウス辞めてフリーになって、収入も大きく変わりました。でも、お金って大事な部分があって、服装も変われば車も変わるし、本人の気持ちも全く変わってくるので、アーティストといい関係の中で仕事をするのに繋がってくるんです。

Mix Plusの次はHDですが、「デジタルだから新しいものがいいだろう」という考えもあって、出たらすぐ買いました。音の抜けがよくなってやりやすくなったな、という印象でした。

一時、Nuendoも使用してました。HDが出る直前の頃で96kHzでやりたいと思っても機械がない頃ですね。慣れないWindowsマシン使ってました。Nuendoも周りに使ってる人がいない訳なので大変でしたねー、胆石で入院するほど(笑)。

朝スタジオに入ったらコーヒー飲みながらずっとパンチインして、トークバックで話して、マイク直しに行って、直したら戻って来て、というような食事する暇もない日々を続けてました。アシスタントが何もしてくれない(出来ない)という状態が何年も続きました。「このボタン押すと録れるから。」という感じで徐々にやっていったんだけどね。まあ、コンピューター自体がワンマンツールなので、言葉でアシスタントとコミュニケーションしてやらせるより、自分でやっちゃうのが効率的だし。アシスタントが悪かったという訳でなく、必然的にそうなってしまっただけの話ですね。

Rock oN:お話を伺ってると、「これじゃなきゃだめだ。」という訳ではなく、「そこに便利なツールがあるから使ってみよう。」というスタンスですよね?

赤川:そうですね。まあ、基本的に新しもの好きかな。プラグインに関しては、Pro Toolsが出た当初はひたすら全部試してましたが、ひとしきり出尽くした感じの最近はそうでもないです。その後、新しく出た製品で、自分でハマッタのは、SONY Oxford EQ。あと、コンピューター内部でミックスしてる時は、トータルコンプが必要だなとずっと感じてたこともあって、IK Multimedia T-Racks。

Rock oN:最近、ミックス・バッファーは?

赤川:使ってないですね。なくても、自分が内部ミックスに慣れて来て、大丈夫なようになったということかな。コンピューターの内部ミックスに慣れるまで10年越しですね。それくらいかかるでしょう。 ミックス・バッファーを作った時は、それが必要だと思ったんですね。内部ミックスの飽和感から逃げたかった。。

コンピューター内部ミックスについて 〜あるプラグインの存在〜

Rock oN:なぜ、HDではその問題が解決したんでしょうか?

赤川:僕にとっては、Oxford EQの力が大きいですよ。エアーをいじれるEQがなかった。他のEQだと、上の帯域を上げたらチキチキ言ってくるだけで、サラサラしたところを上げられるEQがなかった。他にケーブルの開発や192 I/Oの改造など、いろんなことが積み重なった結果として、内部ミックスに関しては大丈夫になっています。 Rock oN:中学時代のスピーカー自作から、今のスピーカースタンドやケーブルの開発まで、こだわりを持つことに関してですが、何が赤川さんをそうさせるんですか?

赤川:"自分が興味を持っている"ということと、"必要に迫られて"という両方の理由がありますが、面白そうなものに関しては自分からコンタクトしてみるんです。「こういうツールがあるのに、自分で使ってみないのはおかしいだろう。」という考えが、あたかも必然のようにして自分にあります。Pro Toolsを初めて買った時、勉強するためにミックスを始めたんだけど、ちっともいい音に仕上げられなかった。そういうことを何度も繰り返して行くうちに、スピーカーのこととか、部屋のこととか、色々興味を持ち始め、結局は自分がよりよく行きたい、よりハッピーになりたいということになるんじゃないかな。僕は、常に次待ちの状態ですよ。今も色んなことを試してます。PCMの改良という領域からは出てませんが。

Pyramixのシステムで、DSDのマルチを使って何枚かアルバムをやりましたよ。でも、大変過ぎて続かなかった。大きな違いは、Pro Toolsは走った時点から録音してるけど、それができないんですよ。バイアスかけたとこからしか録らない。まだPro Toolsが広まっていない時点での話なら大丈夫だけど、Pro Toolsがこれだけ一般化した今となっては、みんな走ったとこから録れてると思っている。

パンチイン時につながりがうまくいってない場合、今時は「そこ、引っ張っといて。」とみんな軽く言っちゃう。「このレコーダーは引っ張れないんですよ。」と説明するのが毎回大変で。音はいいんだけどね。そういうこともあって、今はマスタリングでしか使ってないです。192 I/OのデジタルアウトからマイトナーのDSDインターフェースのインに入れるか、KORG MR-1000に録ったものを44.1kHzに変換してPyramix上で並べるとか。もったいないですね。高かったのに(笑)。Pro Toolsの最初の頃もそうだけど、まだ理解を得られてないものを使うというのは本当に大変なことですね。

Rock oN:配信やmp3などに関してはどうですか?

赤川:便利なので僕もiTune Storeで買ってmp3も普通に聞いてますよ。「mp3だと俺のミックスがくずれるので嫌だ」なんてことは全くなくて、mp3でもちゃんとアレンジされて、しっかり録れているもの関しては問題ないけど、ちょっと無理がある録音やミックスのものは、mp3に変換されると一気に質が落ちちゃう。でも、配信のモデルやビジネスについては、ぜんぜん興味ないです。「好きにして」という感じですね。プロとして本質的なことはちゃんと果たしておきたいので、mp3にコピーされたら悪くなるようなミックスだけはしたくないです。それは、ラジカセやウォークマンが出て来た時も同じでしたけどね。

Rock oN:今後の予定や夢などありましたらお聞かせ下さい。

赤川:スタジオを作ろうとしているところで、クオリティのいい電気(電源)を手に入れようとしてるとこですね。これまで色んなことをやってきたので、やりたいことはハッキリしてます。いいものが出来ますよ! エンジニアが持つプライベート・スタジオで、弦が録れるくらいの大型版。かつ、それほど高くないスタジオをずっと考えていたんですが、いいタイミングが来たという感じなんです。今は詳しく話せませんが。。

Rock oN:おー。供給するのは東京電力ですか?

赤川:違います(笑)。発電するんです。楽しみにしてて下さい。

Rock oN:最後に、赤川さんにとって音楽とはなんですか?

赤川:うーん、難しい質問だなぁ。今やってるエンジニアリングを、仕事とか職業って思っていないふしがあるし。音楽は、ある種聖域だと感じてる部分はありますね。金儲けや私利、プライドのためにやるんだったら、「あんたたちは踏み込んで来ないで!」という人たちがすごくいますね。それは志しの問題かな。食事とか水とか空気と一緒で、僕にとっては音楽も"始めからそこにあるもの"ですかね。

正直お会いする前は、ベテランのエンジニアさんということもあり、少し難しいかたでは。。と脳裏によぎってましたが、お会いしてみると全くの逆。こちらの質問に対して、ご自分の失敗などを含め、ユニークに、丁寧な語り口で答えて頂き、とても楽しい機会となりました。「論理的に音を語る内容になるのでは?」という取材陣の事前予想を良い意味で裏切り、「音がいいってことは音楽がいいってことなんですよ。オーディオ的に音がいいということじゃなくて、そこに快感を生み出す要素があれば、音がいいと自分は感じます。」という発言の通り、音楽を主体にしていい音を追求する赤川さんの姿勢が、今回のインタビューを通してお分かり頂けたと思います。さすがに長年のキャリアの体験から出てくるお話は、抽象的な部分やあいまいさがなく、正にプロフェッショナル。丁寧な語り口ながらも、音楽への熱い愛情を強く内に秘めた印象を持ちました。

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