音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。

第29回目は佐久間正英さんです。70年代には四人囃子、80年代にはプラスティックスのメンバーとして、そしてその後、BOφWY、GLAY、JUDY AND MARYといったビッグアーティストの音楽プロデューサーとして活躍され、長い期間に渡り日本の音楽シーンに大きな足跡を残されてきたのは、みなさんご存知かと思います。都内にあるご自身のスタジオにお邪魔して、お話を伺ってきました。

2013年6月7日取材

2歳で見えた音の光。小1で初見で譜面を読む!!


Rock oN:音楽に触れられた頃のお話をお伺いできますか?

佐久間正英氏(以下 佐久間):音楽との出会いは2歳の時で、はっきり記憶にあるんですが、ベートーベンの第五番を聴いてすごくショックを受けました。

Rock oN:2歳で!どんなシチュエーションだったんですか?

佐久間:当時はまだ家庭にオーディオ装置が普及していなくてハイファイと呼んでた時代なんですが、父親の友人がハイファイを所有していて、そこで第五番を聴いたんです。2歳の僕には、出てくる音に合わせて光がスピーカーからパッーと飛び散るようなものが見えて、さらに自分で自由に操ることが出来た。そういう体験をしたんです。

Rock oN:それはすごい体験!ご家庭には音楽が流れる環境があったんですか?

佐久間:母親が三味線、長唄、日舞の師匠でしたので、小さい時から毎日、三味線の音は聞いていました。

Rock oN:最初に始められた楽器は何ですか?

佐久間:小学校1年の時にピアノを始めました。先生の都合で実質1ヶ月間しか習うことが出来なかったのですが、初めて面接に行った日、先生に「何か弾いてごらん。」と言われたのですが、僕は既に弾くことが出来たんですよ。「白鳥の湖」でした。自分でアレンジしたのを弾いたんです。

Rock oN:天才的な子供だったということですね。。。

佐久間:その時の事を思うとそうなるんでしょうか。1ヶ月しか習わなかったんだけど、バイエルは初見で弾けたので、すぐにツェルニーまで行きました。

Rock oN:普通、小学生が譜面を1ヶ月で読むようになるってないですよね?

佐久間:それも不思議なんですが、小学校に入るまでは譜面なんて見たこともなかったんですが、小学校1年の最初の音楽の授業でト音記号、ヘ音記号のどこが「ド」、だとか、4分音符、8分音符などの意味や違いもすぐに理解したんです。

Rock oN:(笑)すごい。逆に、「僕はどうなってるんだろう?」って不思議に思ったりしませんでした?

佐久間:いえいえ、授業で習った時に、まわりのみんなも譜面を読めてるんだと思ってましたから(笑)。ピアノは1ヶ月しかやらなかった訳ですが、そのまま続けてたら僕の人生、変わってたかもしれないですね(笑)。でも「ピアノを続けたい。」とは思わなかったんです。小学校4、5年からプレスリーなどのアメリカンポップスを聞くようになりました。叔父がビクターに勤めて、洋楽を担当していたので、家にレコードを持ってきてくれたり、ラジオの電リク番組もよく聞いてました。当時の日本の音楽は、アメリカンポップスの日本語カバーが全盛の頃で、洋楽がベースになっている曲が多かったですね。また、水原弘のような、もっとどろっとした感じの日本の音楽も好きでしたよ。

Rock oN:ピアノ以外は?

佐久間:色んな楽器をすぐにやりたがる子供でした。吹奏楽部がとても優秀な中学校に入学したのですが、吹奏楽部ではトランペットを選びました。トランペットの練習に加えて、和声や対位法といった音楽理論の勉強も結構しました。

Rock oN:理論は先生に習ったんですか?

佐久間:いえ、独学でした。本を読んだり、買って来たスコアを見ながらレコードを聞いたり。いつもそういうことをやってたら、自然とオーケストラのフルスコアも読めるようになってました。後々、音楽が仕事になったので結構役立ちました(笑)。トランペットを始めた半年後には、ギターを始めて、ジャズの理論も勉強しました。

Rock oN:Rock oN:いわゆるツーファイブなんかのコード理論とか。

佐久間:そうですね。あとはモードとか。ギターを始めたのは兄貴の影響ですが、丁度世の中エレキブームで、僕はアメリカンポップスが好きだったこともあり、エレキギターに目覚めたんです。兄貴はクラシックを弾いてましたが、僕が好きな「テケテケ」をやるようなギターとは違ったので、独学でコードを勉強したんです。でも当時は情報がなく、最初はコードの“C”とか“G”の意味が分からなかったんです。でもクラシックの勉強はしてたので、「ああ、Cというのはハ長調の主要和音のことなのか。」という風に理解して(笑)。「じゃあ、ギターの指板上でどこを押さえればいいのか。」という風に考えて音を探して。

ギターコードの平行移動とクラシックの禁則の間で悩む中学生

Rock oN:多くの人は最初、フォームで覚えるんですが、佐久間さんの場合は和音の構成音を指板上で探す、というかたちだったんですね(笑)。

佐久間:そうです(笑)。まず低いポジションで音を探して、次は「同じ構成音を高いポジションでやったらどうなるか?」みたいな感じで音を探す訳です。自分の中には“指のフォームを平行移動させる”という概念がなかったんです。なぜかと言うと、クラシックの平行5度の禁則が頭にあったので「平行移動させちゃいけない。」と思ったんです(笑)。後になって、ハードロックでは普通にリフで行われてたので、「へぇ〜、やっていいんだ。」と思ったんですが(笑)。

Rock oN:中学生の時点で、ギターのコードを平行移動させることと、クラシックの平行5度の禁則との間で悩んでたと(笑)、

佐久間:はい(笑)。中学1年の時にクラスの友達に誘われて家に遊びに行き、人生初のセッションをやったんです。エレキギターで。クラシック音楽よりもすごく楽しくて、そこからドラムとベースが出来る奴を探して一気にバンドへのめり込みました。

Rock oN:当時、「エレキをやってると、不良だと言われた。」と聞いたり読んだりしますが、佐久間さんのまわりはどうだったんですか?

佐久間:1964年の頃なので、まさにビートルズが大人気の時代です。エレキとアンプを持ってると、近所のおばさんに「あそこの子は。。。」みたいなことは言われてましたよ。私の親は言わなかったですけど。でも、バンドをやってる本人達は全然不良じゃなかったです。逆に、僕をセッションに誘った奴は成績トップで生徒会長をやってて、さらにスポーツ万能だったし。学校の先生たちは、ちょっと嫌な顔をしてましたが、僕も成績が良かったんで(笑)文句を言えなかったですね。まあ、音楽やってて髪の毛伸ばしてるだけで本当の不良ではないんですけどね。今でもそうだけど、不良少年は音楽なんてやらないですよ。割とまじめな子がやるんですよ(笑)。

Rock oN:日本は高度成長期のまっただ中で、世の中、勢いがあったんですよね? 当時はどんな感じだったんでしょう?

佐久間:エレキから始まってビートルズやストーンズが出てきてたと思ったら、ほんの数年でレッドツェッペリンですからね。そのくらいの勢いで、世の中が早いスピードで回ってました。ビートルズをコピーした翌年には、僕はもうジミヘンを弾いてましたから。当時、「ロックは進んでる新しい音楽だ。」と思ってました。ジャズはどちらかというと“民族音楽”という捉え方をしてました。中学の時に民族音楽も結構聞いていて、例えば、インド音楽の音階なども研究しましたし、邦楽の音階は、家に三味線があったので自然と自分の中に身に付いてました。加えて、現代音楽や電子音楽も出てきた時代で面白かったですね。

自分で初めて買ったエレキギターは“ヴォイス”という国産メーカーでした。JAZZMASTERみたいなギターで、大学までずっと使っていて、とても好きだったんです。そのメーカーはすぐに無くなったんですが、今でもたまにネットのオークションで見かけるので、いつか手に入れたいと思ってるんですが、高い値段がついてるんですよ。

Rock oN:当時の東京の同世代の子供は何を聞いてたんでしょうか?

佐久間:僕は洋楽ロックが好きでしたが、一般的には、例えばグループサウンズだったり、加山雄三だったり、圧倒的に邦楽でしょうね。ロックがニューロックに移り、アートロックと呼ばれ、そしてジミヘンやツェッペリンが出てきてハードロックの時代にあっという間になりました。自分のバンドはハードロックには行かなかったんですが、どんどん音楽性が変わりました。高校の最後までそのバンドは続けました。

Rock oN:ライブはどんなところでやられてましたか?

佐久間:当時はライブハウスなどなく、お祭りや知人のパーティーなどですね。大勢の前で演奏となるとコンテストくらいです。エレキ合戦みたいなものによく出て、優勝してアンプをもらったりしてました。僕が音楽で初めて仕事をしたのは中学3年の時に、銀座のビアホールにトラで呼ばれてギターを弾きに行った時でした。ギャラは覚えてないですが(笑)。気に入られて「次も来てよ。」と言われたんですが、さすがに中学生なんで(笑)。背が高かったので見た目では大丈夫だったんですがね(笑)。未成年ですし。


産まれた直後から、まさに音楽人生を送るために方向付けられていたようなストーリー。ロック黎明期のお話が当事者であった佐久間さんの口から実体験として語られるのは本当にリアルで、文章や映像を通して見聞きしていた面白さの比じゃないです。もっともっとお話を伺いたいと話題を進め、音楽業界への入り口から四人囃子、プラスチックスへと話題は続きます。

Rock oN:当時、デビューするとかレコードを出すとか、音楽を仕事にするための情報は?

佐久間:全然ないですよ。だから、どうしていいか分からなかったです。でも続けていれば「きっとなれる。」と信じてました。大学生になると色んな交友関係が増え、僕がギターを弾けるとか曲が書けるということで、CMの仕事に呼ばれるようになったんです。

Rock oN:佐久間さんのキャリアで最初のデビューというと四人囃子ですよね。四人囃子に加入されるまでの経緯を伺えますか?

佐久間:大学生の時、幾つかバンドをやっていたんですが、その1つがデビュー直前までいったんです。それはフォーク寄りな音楽性だったんですが、吉田拓郎や六文銭などがいた事務所に所属し、デモテープを録ったり、コンサートをやったりしてました。そのバンドには、後に四人囃子のメンバーになる茂木由多加もいました。

ある日、横浜でコンサートがあって、ステージに上がると僕のアンプが壊れてたんです。別に悪口を言う訳じゃないですが(笑)、僕らの出番の前に六文銭にアンプを貸して調子が悪くなってしまったようで、僕らの本番の時に音が出なくなってしまった。幕が上がる直前だったので、マネージャーが「ギターなんか鳴らなくていいからやれよ!」みたいなことを言ったので、僕は切れてしまったんです。若かったし(笑)。。。するとドラムの奴が、そのマネージャーを投げ飛ばしてしまい、その事務所とはそこで「さようなら」(笑)。「やってらんねぇ、もうやめた!」ということになって(笑)、さっさとステージ降りて帰っちゃった(笑)。

Rock oN:ロックですね(笑)!

佐久間:その後、茂木君とはしばらく離れてたんですが、ある日、日比谷野音にライブを1人で見に行くと、茂木君が出演していて、それが「ナイス」というキーボードトリオだったんです。「すごい演奏だなぁ。」と思い、楽屋に行って「また一緒にやろう。」という話をしたんです。そして「ミスタッチ」という3人編成のキーボードトリオを組みました。僕はそこで初めてベースをやりました。その頃に四人囃子のメンバーとも知り合いになり、一緒のライブに出たりするようになりました。先に茂木君が四人囃子に入ったんですが、四人囃子のベースが抜けたので、「ミスタッチ」を辞めてた僕が呼ばれ、四人囃子に加入することになったんです。

Rock oN:佐久間さんは色んな楽器が弾けた訳ですが、ギターや鍵盤じゃなきゃだめだということはなかったんですか?

そうですね。四人囃子の場合、森園勝敏というギターの腕がすごい奴がいたので「僕がギターを弾く必要はないな。」と思ったんです。ベースも面白くなってきた時期だったんで、何の問題もなかったです。ただ、四人囃子をやってた頃は「ただのプレーヤーとしてずっとやっていこう。」と思ってなく、曲を書いたり、アレンジしたり、“トータルとしての音楽へ関わりかた”を描いてました。まだ日本には定着してなかった言葉ですが、今で言う“プロデューサー”という仕事を目指していました。

「アンプのボリュームを1以上上げるな!」日本のスタジオ黎明期

Rock oN:当時のレコーディングスタジオの雰囲気って、どんな感じだったんでしょうか?

佐久間:幸い四人囃子は特殊な状況で、何をやっても許されたんですが、70年代はまだ古い時代で、スタジオは今のように使いやすい場所ではなかったです。色んなことがガチガチに制限されていて、エンジニアもまだ文字通り “エンジニア=技師” という言葉がぴったりくる存在でした。工場にいた人が急にスタジオに呼ばれて来たようなこともあったし。マイキングを始めとするテクニック的なことも途上段階でした。もちろん、吉田保さんのような音楽的にも優れた人はいましたが、まだまだな時代でしたよ。

さっき話した、喧嘩して事務所と別れたバンドのレコーディング時の話なんですが「マイクが壊れるのでTwin Reverbのつまみを1以上は上げるな。」とエンジニアに言われたんですよ。今だったらあり得ない話ですが(笑)。そのくらい情報が無かったんです。でも、四人囃子のレコーディングでは自由にやらせてもらったので、「ここにマイクを立ててみよう。」とか、「マイクの代わりにスピーカーを使って録ってみよう。」と色々試す事ができ、自分にとってプラスになった経験でした。

Rock oN:話をプラスチックスに移しますが、プラスチックスの加入の経緯をお伺いできますか?

佐久間:四人囃子を辞めたのが1978年で、四人囃子は1979年まで続くんですが、四人囃子をやっていた頃から、プラスチックスのメンツと顔見知りになっていて、彼らはファッション界隈の人間だったんですが、彼らがパーティーバンドを始めることになり、パーティーに誘われたことがあったんです。そこで演奏を見たんですが、すごくかっこよくて、でもめちゃめちゃ下手なんですが(笑)。でも「すごいなぁ。」と思たんです。なんとなく「プラスチックスのプロデュースが出来たらいいな。」と思いました。

Rock oN:メンバーになるより先に「プロデュースしたい。」と思われたんですか?

佐久間:はい。プラスチックスは最初、ドラム、ベース、キーボードもいる普通のバンド編成だったんですが、彼らが辞めて、中西俊夫、佐藤チカ、立花ハジメの3人しかいなくなり、「ドラムは元テンプターズの大口広司君に頼んだから、ベース弾きに来てよ。」と電話がかかってきたんです。僕は「いいよ。」と返事し、ベースで1、2回練習したかな?。でもしっくりこなかったんで、僕は「リズムボックスにしてみれば?」と提案したんです。それ以降、リズムボックスを使う事になり、僕はシンセをやることになったんです。

Rock oN:メンバーは「技術的に下手だった。」と言われましたが、その時点でキャリアがあった佐久間さんから見てどうだったんですか?「それじゃだめだよ。」みたいなことはなかったんですか?

佐久間:全然ないです。技術的に下手なだけで、すごくかっこよかった! 演奏技術と音楽の善し悪しは別です。技術的な違いがあったので、僕は生楽器で参加するんじゃなくて、シンセサイザーで参加することにしたんです。ドラムは上手い人が入ってもしょうがないので、リズムボックスにしたということです。時代性から見ても新しかったので「リズムボックスだろう!」とひらめいたこともあります。

メンバーみんなでいつも溜まってた場所があって、「今度はこんな曲〜」みたいな感じで(立花)ハジメちゃんがギターで弾いてくれて、僕が「そこはGね。」みたいな感じで言うと、ハジメちゃんが「これがGって言うんだ。」みたいな感じで(笑)。そして、ああだこうだやりながら曲を作ってました。

Rock oN:ナイロン100%をはじめとして、当時の東京は面白かったですか?

佐久間:うん、面白かった。僕らの他にもヒカシューをはじめとして、個性ある人たちが集まっていました。いわゆるテクノポップ以外にも、シーナ&ロッケッツやRCサクセションなどのロックバンドとも競演し、ジャンルの垣根なく、面白いこと、カッコいいことをやってる人たちが自然と集まってました。まあ、ロックバンドの中では僕らは浮いてた存在でしたが(笑)。

Rock oN:佐久間さんはバンド内で、音楽的に頼りにされてた存在だったんですか?

佐久間:どうなんだろうね、多分そうかなぁ? わかんない(笑)。でもみんな、何が起こってるのかよく分かってなかったんじゃないかな(笑)。そこが本当にいいところだったし、新しかったですね。

最初、イギリスのラフトレードからシングルを出して、日本でアルバムを2枚発売した後、同じくイギリスのISLANDレコードからリリースしたんですが、その頃は日本よりもアメリカで注目を集めてました。日本のレコード会社はあまり相手してくれなかったんです(笑)。海外でツアーをやってる割合が多くなってました。

Rock oN:当時、海外と日本の業界の違いで痛感されたことはありますか?

佐久間:沢山ありましたよ。業界のシステムやライブハウスのシステム、それにお客さんもそうだし。日本では経験できない事ばかりで、僕のはその経験がすごく勉強になって得をしました。最初のツアーではラモーンズのお下がりのバンを借りて、自分たちで運転してアメリカ中を回ったんですが、「10時間車で走って次のライブハウスへ移動」、なんて日本で経験できないじゃないですか。アメリカツアーの時は、確か、所属してたエイジェンシーから、週給でギャラをもらってたのかな?

Rock oN:へぇ〜、週給で! 現地のオーディエンスからどう受け止められてたんですか?

佐久間:アメリカツアーの時は、僕らの触れ込みが「フロム ニューヨーク」だったので、僕らが日本人だと知らないお客さんが一杯いたんです。で、なんだか知らない人たちが変わった音楽の演奏をしだす。評判はおおむね良くて、幸いに瓶を投げつけられる、みたいなことはなかったです(笑)。かなり受け入れてもらえました。もちろん周りから浮いてた存在だったとは思いますが(笑)。

Rock oN:プラスチックスのレコーディングはどういう感じだったんですか?

佐久間:先にベーシックを録って、それにギターや歌をダビングしていく感じですね。スタジオのシステムは四人囃子の頃からそんなに違わなかったですが、最初の頃、苦労したのはCR-78(ドラムマシーン)の音をパラ録りしたかったんですが、同期がまだ出来ない時代だったのでシンクボックスを自分で作って、SMPTEの代わりにシンセのLFOの矩形波を流し込んで、それをTTLロジックでトリガーにしたんです。曲がリットする時は、ベンダーを使って手動でコントロールして。

発売前のTR-808。最初に見たのは、あの「Mr.スローハンド」だった

Rock oN:それはすごいですね。電気回路の知識も持ってられたんですか?

佐久間:いや、必至に勉強したんです(笑)。そういうことが出来る製品がなかったので、結構苦労しました。その後、ローランドからTR-808が出て来て、パラアウトできるようになったんですが。ローランドがTR-808を作る時に、僕は開発に関わったんですよ。

Rock oN:そうなんですか! TR-808が発売された時、世の中でどういう捉え方をされてたんですか?

佐久間:最初は相手にされてなくて、製品としては失敗してるんじゃないかな? 悪く言う訳じゃないけど、もちろん僕は製作に関わってたので TR-808は大好きだったんだけど、発売された時代のタイミングが悪かったですね。プラスチックスのISLAND盤のレコーディングでバハマのコンパス・ポイント・スタジオに行ったんですが、TR-808の製品版一号機(シリアル1番)が出発の直前に出来上がったので持って行ったんです。マニュアルも出来てなかったし、基盤むき出しのモックアップ状態だったんですが。丁度隣のスタジオでレコーディングしてたエリッククラプトンが、TR-808をプログラミングしてる僕のことを後ろから覗き込んで来たんです。「お前何やってんの?」みたいな感じでずっと見てました。だからクラプトンが、部外者でTR-808を初めて見た人物なんですよ(笑)。日本人でも、知ってたのはプラスチックスのメンバーだけでしたから。その時録ったTR-808の音は、今聞いても本当にいい音してますね!レコーディングのプロデューサーはアレックス・サドキンでしたが、その時の音が世界初めてのTR-808の音なんだけど、今でも一番いい音してると思いますね。

レコーディングが終わって、その次のツアーでロサンゼルスに行った時にB-52sと一緒だったんですが、そこにDEVOも遊びに来てて、DEVOが「新しいリズムボックスを手に入れたので今度見においでよ。」という話をしたんですが、それがLINNだったんです。それで、彼らの家に見に行ったらLINN DRUMがあって、話を聞いたらスティーブ・ガットの音をサンプリングしてると。それを聞いて僕は「ああ、TR-808の時代は終わった〜。」と思ったんです(笑)。TR-808が完成して、ほんの数ヶ月後の話だったんですが。。。

今ではエレクトロミュージックのサウンドのキモとして、なくてはならない存在になってるTR-808ですが、「発売当初は製品として失敗してるんじゃないか?」という発言。こんな経緯があったんですね!クラプトンは世界を代表する一流ギタリストとしてのイメージが強くある一方、テクノロジーや新しい物に対する興味も強く持ってる人物。もしかしたら、この時、佐久間さんが持ち込んだTR-808が、何かしらクラプトンのその後に影響を与えたりしていて、などと勝手な想像をしてしまいます。さて、お話はプロデューサーとしてのキャリアへ。きっかけは渡された1本のカセットテープからでした。

Rock oN:その後、プロデューサーとして活躍される訳ですが、最初にプロデュースされたのはP-MODELですよね? そのきっかけをお伺いできますか?

佐久間:屋根裏でプラスチックスのライブをやった時に平沢進君が「プロデュースして欲しい。」と声をかけてくれ、カセットを渡してくれたんですよ。当時、プロデューサーという言葉はありましたが、事務所の社長だったり、レコード会社の人間だったり、そういう人たちのことを指してた時代で、今のように確立されてなかった時代ですね。

Rock oN:じゃあ、平沢さんが佐久間さんに求められていたのは、当時、海外では存在してた「サウンドのプロデューサー」ということですか?

佐久間:そうですね。音決め、曲の解釈、どう演奏すればいいか、場合によってはアレンジなど、レコーディングに関わる全般のことですね。海外では当時からそういう仕事をするプロデューサーの存在が当たり前でしたから、僕もその存在を意識していましたし、日本にそういう存在がいないのは変だなと思ってました。プロデューサー仕事が増えたのは圧倒的にBOφWY以降ですが、布袋君がプラスチックスのことを好きだったようで、僕の仕事に興味を持ってくれて「僕でやりたい。」と言ってくれたそうなんです。

Rock oN:現在、佐久間さんはプロデュースに関して、しっかりとした手法を築かれているわけですが、当時と今の違いはありますか?

佐久間:基本的には一緒です。もちろん、長い時間の中で細かな変化はありますが、やろうとしてる基本的な考えは昔と同じですね。

Rock oN:個人的な興味で質問させて頂きますが、プロデュースされたBOφWYやGRAY、JUDY AND MARYといったバンドはセールスですごい結果を残してる訳ですが、セールスと音楽的な内容の関連についてすごく興味があるんです。例えばBOφWYが売れ始めて来たら、佐久間さんは「もっと売れるように」といったマーケティング的なこともプロデュース手法の中に盛り込むことはあったんでしょうか?

佐久間:いや、それは関係ないですね。僕が関わった仕事の中で、売れて結果を出せたというのは全体の1割もないと思います。でもその1割と残り9割の中で、僕がやった内容に違いはないし、結果的に彼らは売れる要素を持っていた、ということですよ。僕はプロデューサーとして、第1に、アーティストがやりたい事を最大限実現できるように仕事をするのであって、意図的に「売れよう」と思ってやってる訳ではないです。音楽的には、「売れるため」ということでなく「聞きやすく」する、と言った方がいいかもしれません。それは「イージーリスニング」なものにするという意味ではなくて、誰がどんなシチュエーションで聞いても「あっ、いいな。」と自然に耳が向くようなサウンドを作る、ということです。それは、演奏はもちろんのこと、音質に関してもそうだし、いろんな事を含めたトータルな音楽作りに関係します。

Rock oN:アーティストとぶつかることはないんですか?

佐久間:幸い、ほぼなかったですよ。世の中のプロデューサーの中で、人によっては怒鳴りながらやる人もいるかもしれませんが、「現場で楽しくやってるうちに、自然にいい作品が出来上がる」。そういうのが僕の理想だし、そうやってきました。

Rock oN:音楽製作において、現在はすっかりコンピューター中心の時代ですが、アナログからデジタルへ移行してきたことについて、どう思われていましたか?

佐久間:僕は「アナログのほうがよかった。」みたいなことは思いません。もともと僕は、テクノロジーオタク的な面を持ってますし、今のコンピューター主体の音楽制作環境は自分にとてもフィットしてます。以前のように大きなコンソールを使ってミックスする場合、エフェクターやアウトボードなどあれこれ繋げ変えて、みたいなことをいちいちアシスタントエンジニアに言わなければならないし(笑)。人にやらせといて「やっぱり違うわ、戻して。」って一瞬言いづらいですし(笑)。そういうことが積み重なると時間のロスになるし、サクサクとコンピューター上で出来るなら、その分ストレスも無くなりますしね。


いい音楽を作るために必要な環境。おざなりにされてきた日本の事情について

Rock oN:ご自身のブログやツイッターで展開されたお話の中に、音楽制作の環境やコスト面に触れられていたと思いますが、改めてお伺いしていいですか?

佐久間:歌や生楽器の演奏の場合、いいレコーディングをやろうと思ったら、いいスタジオ、いい機材、いいエンジアが必要だし、そうするとコストがかかります。今は時代的に、仕事がないからなんとか安いコストでやろうとしてる訳ですが、例えば大工さんの世界だと、腕のいい大工さんに頼んでやってもらうと、それに見合ったコストがかかる訳ですが、それを無理矢理値切って仕事をやらせる、ということはあり得ない話じゃないですか。でも残念な事に、音楽業界では、それが当たり前のようにまかり通ってる。それは変だと思います。また例えるなら、「武道館を借りてコンサートをしたいけど高いから値切ろうとする。」 そういうことを考える人は、まずいない訳ですが、レコーディングスタジオに対しては平気でそういうことをする時代になっている。値切っていいスタジオが押さえることができないと、ロクでもないスタジオでやることになる。それでいい音楽が出来るかというと、それは出来きない。そういう事をずっとやってると、みんな「いい音」について勘違いしちゃうんです。

ここで注意しなきゃならないのは、「いい音」をオーディオ的なハイクオリティーのことだと思ってる人がいますが、そうじゃなくて「いい音」というのは、その音楽としての、その楽器としての「いい音」であって、あくまでも「音楽としてのいい音」を追求しなければならないんです。このマイクだと「音楽的にいい音で録れるか」、ということを判断しなければならない。

Rock oN:その理解が薄くなってしまった原因はなぜでしょう?

佐久間:時代的なこともありますが、売る側に多くの問題があると思います。「いい音楽」を作るための「いい音」の作り方を今の世代に伝えて来なかった。それで今、みんながわかんなくなってしまっている。「いい音」と言うと、「WAVとMP3の違いは、、」みたいなことに話が変わってしまったりするんですが(笑)、そんなことは大した事じゃないんです。バスドラをスタジオのどこに置くか、マイクをどこに向けるか、の判断が生み出す違いの大きさは、「WAVとMP3の違い」の比ではないんです。

最近ではピアノの生音を聞いたことがない、いい環境で鳴っている生ドラムの音を聞いたことがないエンジニアもいますが、それはとてもまずいと思います。デジタルが当然の時代ですが、音自体は、空気の疎密でありアナログだということを忘れてる。そういったダメなエンジニアを生み出してしまった悪しき環境が日本にある訳です。エンジニアにとって、技術を修得する以外に大切なことがたくさんあって、例えば、スネアに対してマイクを立てるにしても、どう立てるかによって音が違う訳ですが、コントロールルームで音を聞いてマイクの位置を直す人と、最初からベストのポジションに置く事が出来る人がいますが、こういった事は教えようがない。

Rock oN:センスってことですか?

佐久間:センスですね。センスがない人でも生き残れて来たのが日本のスタジオの実状だったんです。センスがなくても真面目な人は、ちゃんと気付いてマイクの位置を直しながらいい音を目指すんですが、それすらやらない人もいるんです(笑)。

Rock oN:佐久間さんが危惧されてることは、今後、技術が発達することで修復できると思いますか? 若い世代にいい音を知ってもらうには、どうすればいいでしょう?

佐久間:いい音に触れてもらう、体験してもらうしかないです。音は体験でしかないです。自分の体験で「ワオ、かっこいいスネアの音だ!」と自分の記憶に残せるか、ということでしょうね。それがTR-808の音だっていい訳です。808だって、いい808の音とだめな808の音がある訳です(笑)。


Rock oN:その違いをちゃんと分かってる若い人もいますよね?

佐久間:はい、話てみれば多くの若いミュージシャンはわかってくれますよ。でも、その「いい音」を得るためにどうすればいいかは、多くの人が分からなくなってしまっているんです。

佐久間さんが描く未来の音楽制作スタイル

Rock oN:佐久間さんは常に新しいテクノロジーにどん欲ですが、今後期待するテクノロジーや機材はありますか?

佐久間:音楽の作り方で、これまでと違う新しい方法を模索して来たんですが、ずっと考えてたことがあるので、わかるように究極の例で説明しますね。アナログレコードのカッティングは塩化ビニールの円盤に溝を掘って行く訳ですが、もし、それを手で直接掘ることが出来たら機械を使う事なしに音楽再生の媒体ができることになりますよね。曲というのは、楽器の音や人間の声といった色んな要素が2ミックスとして1つに混ざりあって成り立ってる訳ですが、もし、2ミックスの波形振動を手でダイレクトにカッティングできるなら、各々の楽器を演奏したり歌ったりすることなしに音楽を作ることが出来る訳です。このようなことが出来るテクノロジーが将来、生まれれば、その技術だけで、例えばビートルズのような優れた音楽でも出来てしまうことになります。

Rock oN:自分の脳内にある音楽を、リアル世界に最終波形として書き出すような技術? あえて言えば、脳波カッティングみたいなことですか?

佐久間:そう、これなら楽器も、音楽家もいらない。いつか、そういったことができる世界に変わっていくと思っています。近い将来ではまだまだ無理でしょうけど、そういう世界になれば面白いと思うんです。そうなって初めて、僕は、環境音楽というものが成立するんじゃないかと思うんです。そうでない限り、現在の環境音楽はエセ環境を作り出しているだけですから。本当の環境音楽は、その時点、その場の環境に反応して音を生成するものですから。

Rock oN:「環境音楽」といいながら、その場の環境に関係なく、既に作られた音楽が勝手に流れてる訳ですね。

佐久間:そうです、インタラクティブに反応しながら音を生成するということです。かつて、このアイデアを藝大の先生に話たことがあったんですが、なかなか理解してもらえなかったんです(笑)。もちろん、その技術で作られる音楽は、人が聞いて「素敵だ。」と思える音楽じゃなきゃいけません。

僕はボーカロイドにも誕生した当初から興味があって、もっと昔からああいうのもがあってもよかったんじゃないかと思うんですが、まだまだ発展途上なジャンルだと思います。今はキャラクター先行で人気になっていますが、使っている技術は素晴らしいと思うので、何社からもああいうものがでてきて、さらに発展していけばいいなと思います。例えば、声を出すことが出来ない人の代わりになって話してくれるなど、社会に役に立つような方向もあると思います。声のキャラクターにしても、口はこういう形で、胸の厚さはこれくらい、といったデータを元にしたフィジカルモデリングによって声を作りだす技術が出てくれば、限りなくその人の声に近づけることも出来そうですね。

Rock oN:話をこのスタジオに移しますが、ここはお仕事場になりますか?

佐久間:はい、ここでミックもします。ここにある機材は使い込んでるものばかりが残ってます。アウトボードはマスターインサートに使うだけになりました。SPL MixDreamでサミングして、JOEMEEKのコンプSC2からMANLEYに行って、マスターレコーダーはDSDです。マスターレコーダーはアナログハーフインチが使えなくなったからDSDに切り替えたということですね。以前は各トラックについてもアウトボードでやってたんですが、今はプラグインがほとんどです。でも、ミックスでプラグインはそんなに使わないんですよ。いかにバランスだけでいい音にするかにこだわっていて、楽器の出音の調整とマイキングをしっかりやって、「録りでいい音を作る」ということですね。モニターはイクリプス をメインに使っています。

Rock oN:SRSS(Sound Recording and Streaming Services)という名前で、ライブレコーディングとライブ配信の事業をやられていますね?

佐久間:USTREAMも含め、これからますますライブレコーディングや配信が増えるだろうと思っていますが、配信される音に関しては、まだ、かんばしくないと感じていて、PAと全く独立したライブ配信専用のライブミックスをするサービスを行っています。同時にマルチチャンネルのレコーディングも可能です。機材はROLANDのDigital Snakeを使っています。これからイーサオーディオがコンシューマーも含めて、大きなトピックになってきそうですね。動作は安定してますし、遅延についてもライブ配信の場合大した問題ではないレベルです。

Rock oN:ブログでKemper Profilling Amplifierを絶賛されてたのを見ましたが、

佐久間:Kemperは本当に素晴らしいですよ!!この製品、変わってますよね。今までのアンプモデリングの製品に比べ、ソフトウェアのクオリティが全く違います。プロファイリング(=サンプリング)になって「本当のアンプの音が出て来た!」という感じです。自分の持ってるビンテージのアンプをプロファイルして使ってますが、全く同じ音が出ます。弾いてて違和感がないです。プロファイリングデータもネット上に無数にアップされてますので、もちろんレコーディング状態の善し悪しに依存しますが、世界中のギターアンプの音がこれで再現できます。レイテンシーも「何でだろう?」と思うくらい異様に小さい。Kemperは機材というより、楽器として素晴らしいと思います。

Rock oN:今後のご予定をお伺いできますか?

佐久間:SRSSが「新しいサービスとして、どういう風に動いていけるか」が自分にとって興味ある事柄です。USTREAMには、さらに将来性があると思いますが、今までだと音のクオリティがダメだったので、これから先、SRSSのようなサービスの需要が増えて行くと思います。

Rock oN:最後の質問ですが、佐久間さんにとって音楽とは何でしょうか?

佐久間:難しい質問ですね(笑)。う〜ん、何だろう。。。楽しくもあり、退屈でもあり、

Rock oN:退屈ですか?

佐久間:音楽聞くの嫌いなんですよ。でも仕事なんで、聞かないといけない訳ですが(笑)。普段、CDを買って聞く機会はほとんどないです。

Rock oN:あれれ??(笑)

佐久間:音楽を作るのが好きなだけなんです。聞くのは好きじゃない(笑)。作る時はとことん真剣ですが、聞く時はどうでもよくって、作られた音楽には興味がないんです。もちろん、自分の仕事の確認作業で聞く事はありますが、日常生活の中でほとんど音楽は聞かないんです。

Rock oN:それは本当にピュアな制作者ですね。なかなかそんな人はいませんね。

佐久間:なので「聞いてください。」と言って音源を渡されるのが困るんです。渡されると聞かなくちゃならないんで(笑)。



「クオリティ」を犠牲にする「バジット制限」。プロデューサー、ミュージシャン、エンジニア、レコード会社の方々など、音楽業界で制作に関わる人なら、その程度の差はあれ感じてる問題。 多くの方が、逆らえない時代の流れとしてなかば諦めかけている今、いろんな媒体で正面から問題提起されているのは、長きに渡って第一線で活躍されてきた佐久間さんだからこそ、ことの重大さを誰よりも痛感されているからではないでしょうか。全ては「いい音楽のために」というシンプルな思いが貫いている。お話を伺って、そう感じました。

お会いするまで私には、「佐久間正英という人物は謎だなぁ。」というイメージがありました。四人囃子、プラスティックスのメンバーとして、その時代の先端を行く音楽をやってたミュージシャン像と、その後の、大衆に向けヒット曲を生み出す大プロデューサー像のアンビバレンツな関係。ある意味、ミステリアスであった佐久間さんの人物像が、今回お話を伺っている間、一瞬にしてスーッと腑に落ちる機会が幾度となくありました。ただ最後に、「音楽を聞くのは退屈」と言ってのける発言だけは、どこかミステリアスさが残ったままで、お部屋を後にするかたちになりましたが(笑)。。。


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