音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。

第18回目は深沼元昭さん。1994年にボーカル&ギターを担当されたバンド、PLAGUES(プレイグス)でメジャーデビュー。2002年に活動"休暇"後、ソロ・プロジェクトの「Mellowhead (メロウヘッド)」を開始され、今年4月に4枚目のアルバム「Daydream weaver」をリリースされたばかり。その他、数々のアーティスへの楽曲提供やプロデュースワークも行われ、機材へ精通されていることから、トラックダウンまで手がけられています。ご自身のスタジオにお邪魔してお話をお伺いしました。

2009年5月15日取材

~ 良質な音楽と宅録。いとこからの深い影響 ~

Rock oN:音楽へ目覚めたきっかけをお伺いできますか?

深沼元昭氏(以下 深沼):小学生の頃、8つ年上のいとこがセレクトしてカセットを作ってくれていました。ビートルズ、ビーチボーイズ、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、フォー・シーズンなどの洋楽ばかりでしたが、すり切れるまで聞いていました。そのいとこがTEACの4トラックカセットMTRの144を使って宅録をしていたんですが、それを見て「かっこいいな」と思って自分でもやり始めたのが最初です。

Rock oN:良質な音楽ばかりでいいスタートですね。

深沼:そうですね。小学生なのでどのレコードを買っていいか分からないので、音楽的に恵まれたスタートですね。小学6年生頃になると自分でもレコードを買い出すんですが、なぜかCCRがすごく好きで中1の頃にはCCRを全部聞いてました。あとはYMOが好きでリアルタイムで盛り上がってました。自分で新譜を楽しみにして待って買ったのが「BGM」でした。それまでの「ライディーン」とかと全然音楽性が違ったので「なんだこりゃ?これがYMO?」と最初思ったんですが、聞き込むうちに好きになって、今でも一番好きな作品は「BGM」です。

Rock oN:楽器を始めるのは?

深沼:ギターは小3の時からクラシックギターを習っていたんです。最初はピアノを習っていたんですが、ピアノの先生がとても恐い人だったんです。隣のギター教室の先生がとても優しそうな人だったので「ギターに移りたい。」と言ってギター教室に変えてもらいました(笑)。ガットギターがスタートなので、今でも、親指を反らせた状態でギターのネックを掴むフォームなんです。ギターの先生は、クラシックだけじゃなくロックもやってた人で、クラシックギター以外のことも教えてくれました。ガットギターの次はエレクトリック・ギターを弾くようになりました。なので、スチール弦を張ったアコースティックギターを買ったのは、プロになってからと遅いんですよ。宅録は、中1でカセット4トラックMTRのFOSTEX X-15を買ってやり始めるんですが、一番最初にコピーしたのがビートルズの「レイン」でした。

Rock oN:友達でバンドを組んだりしなかったんですか?

深沼:いや、 宅録するのが先でした。田舎(福島市)だったので、小学生だと、バンドを組む友達がまわりにいませんでした。その後、宅録でオリジナル曲を作るようになるんですが、プレイグスでデビューするまで「ボーカリストになりたい。」という考えはなかったんです。歌は特別、歌いたい訳ではありませんでした。プレイグスも最初は別にボーカリストを入れて4人でやろうと思っていて、暫定的に自分で歌ってた状態で、そのままデビューしちゃったんです。「スリーピースでかっこいいですね!」と言われても、最初はやりたくてやってた訳じゃなかったんです(笑)。プレイグスではギターリフを凝って作っていたので、弾きながら歌うのが大変でした。

~ 全てを自分で演奏。 mellowheadへの伏線 ~

ドラムマシンはRoland 606を持ってました。中2になると生のドラムキットを中古で買いました。なぜか、ハイハットが無かったんですけど(笑)。

Rock oN:自分で宅録するためにということですか?

深沼:そうですね。いとこから「トッド・ラングレンは全部自分で演奏をやるんだ。」ということを教えてもらい、「面白いなぁ。」と思って聞いてました。影響されて、自分でなんでもやってしまいたいという考えがありましたね。

デビューされたプレイグスでの印象は、純然たるバンドマン的なイメージがあった深沼さんですが、宅録的なスタートがあるとお聞きして意外でした。でも、その後のmellowheadでの、自分でなんでもやるワンマン的活動の伏線が幼い時期からあったと考えると納得できる話です。

~ バンドデビューはヤンキーバンド ~

深沼:中学になってバンドを始めたんですが、ヤンキーバンドでした(笑)。僕はいわゆるヤンキーではなかったんですが、恐い先輩達から呼ばれてキャロルのコピーバンドで中学デビューしました(笑)。ヤンキーな先輩達はライブで格好つけるために一生懸命練習してましたよ。なので、一緒に合わせて演奏することが楽しかったです。

高校になってからは便利屋みたいな感じで、8~9個、かけもちでバンドをやってました。大学(明治大学)で東京に行くことになったんですが、軽音楽部には入らず、いわゆるコンパサークルに入って大学の中ではバンドはやりませんでした。19才の時に遅れて上京して来た先輩から誘われてバンドをやるようになったんですが、それはサイコビリー系のバンドでした。恐い人ばかりが集まり緊張の連続で、さすがに「東京のライブハウスは違うな。」と思いました。

そうこうしてるうちに、たまたま(プレイグスの)ベースの岡本と出会い、彼の地元の厚木で遊ぶようになったんです。ドラムの後藤は岡本の後輩なんですが、厚木のコミュニティーの中でドラムが上手い奴みたいな感じで「一緒にやろうか。」という話になり、大学3年の終わりにプレイグスを結成しました。ライブは横浜の7thアベニューでしかやらず、お客さんは神奈川の人ばかりだったので、結成当初は「地元だけで活動するバンド」という感じでした。

~ 大アウェイ状態での前座出演。プレイグスデビューのきっかっけ ~

Rock oN:徐々にバンドの人気が出て来た訳ですか?

深沼:いや、最初の頃の活動は地元限定でしたので人気はなかったんですけど、クアトロレーベルが主催する来日アーティストの前座オーディションをきっかけにして、東京でライブをやるようになったんです。最初、メガシティフォーの前座に選ばれて出たんですが、それ以降、来日アーティストの前座にねじ込まれて出るようになりました。当然、毎回、大アウェイ状態で演奏しなければならず、来日アーティストが組んだセットの前の小さなスペースで演奏しなきゃならなくて、とても大変でした。お客さんは「お前ら誰だよ!」という感じで冷たかったですね。それをきっかけとして、クアトロレーベルからミニアルバムとフルアルバムを出し、その後メジャーデビューへと繋がりました。

Rock oN:デビュー時のレコーディングはどうでしたか?

深沼:クアトロレーベルの作品は、高幡不動(現在は吉祥寺)のGOK SOUNDでレコーディングしました。ビンテージな機材が沢山あって、録りはアナログマルチを回してやったんですが、実験の毎日でとてもユニークでした。僕も音へのこだわりはあったんですが、GOK SOUNDの近藤さんがそれをはるかに上回るこだわりを持ったかたで面白かったですね。インディの頃はコーラスを入れたり、色々音を重ねる工夫をしていたんですが、メジャーのファーストアルバム「CINNAMON HOTEL」のレコーディングでは、逆に余分なものは排除して行こうというアイデアに切り替え、3ピースバンドの良さを出すため、ストイックでドライなサウンドに徹しました。

Rock oN:歌詞に関してはどうでした?レコード会社から「こうしろ」みたいなことはありました?

深沼:いえ、幸いにそういったことはなく、好きにしていましたよ。当時は、今と違って音楽業界に余裕があったので(笑)。ちゃんと自分で歌詞を書くようになったのはプレイグスからなんですが、歌詞のスタイルが独特だと言われることが多かったですね。でも、自分にしてみたら、書くようになった最初があのスタイルだったので、「ああいう風にしかできない。」というのが実情で、いわゆる「普通の歌詞」なるものが書けなかっただけなんです(笑)。

Rock oN:今は、ミックスまでご自分でやられる訳ですが、レコーディング機材に対する興味はプレイグスをやりながら、深まって行ったわけですか?

深沼:サードアルバム辺りから、自分でハードディスク・レコーダーのRoland VS-880を使うようになりました。セッションで曲を煮詰めるというより、最初に自宅で曲を作ることがほとんどだったんですが、レコーディング前でもメンバー3人で合わせることをあまりやらなかったんです。レコーディング前に曲に慣れてしまうより、新鮮なままレコーディングした方が、面白いレコーディングができるという考えを持っていました。リハーサルでスタジオに入ることが、他に比べて少ないバンドでしたね。

~ ハードディスク・レコーダーの活用で広がったプレイグスサウンド ~

Rock oN:ハードディスク・レコーダーを使うことで可能性の幅が広がりました?

深沼:そうですね。思いついたアイデアをすぐに試せるので良かったですね。スタジオでは「3348のトラックが全部埋まったので、ピンポンするので待って下さい」といった様なことで、アイデアを形にするのに時間がかかったりしまましたし。VS-880以降は、AKAI DPS12を始めとして1年ごとに新しい製品に買い替えていきましたが、FOSTEXのD-80とLogicをシンクして使うようになりました。サンプラーはAKAI S3000XLを2台を使いました。

その頃、深田恭子さんの「イージーライダー」を作ったんですが、流し込むためにPowerBookとD-80とS3000XL 2台、さらにデジタル・ミキサーのYAMAHA 01Vをスタジオに持ち込んで、すごく大変でした(笑)。「イージーライダー」がヒットしたので、以降、外からの依頼の仕事が増えましたが、それまでやったことがないタイプの曲のアレンジ依頼も、とりあえず「やります!」と言ってから勉強してやったので、その時期はかなり勉強になり経験を積むことが出来ました。

Rock oN:現在もLogicをお使いですが、ずっとLogicということですか?

深沼:Logic Audio Discoveryから始まり、Gold、Platinumへとアップグレードしていきましたが、「録りはシーケンサーと別で」というMIDIとレコーダーを分けたスタイルに慣れてしまったので、Logicは打ち込みだけで使い、録りはもう1台別にMacintosh G3とDigidesign Digi001を買って、Pro Toolsで行っていました。そのスタイルは今でも続いていて、Pro ToolsはDigi001〜24|MIX〜HDという変遷を辿ってます。

Rock oN:このスタジオでの作業内容は?

深沼:プリプロから本チャンのTDまでここでやってますよ。以前はアウトボードや音源も沢山置いてたんですが、今はほとんどソフトウェアになりました。よっぽど使いたいハードウェアがある場合は借りて来ます。

浅井健一さんプロデュースのバンド LAZYgunsBRISKYを始めとして、今、5つのプロジェクトが同時進行してるんですが、全てトータルリコール出来るのが助かります!

Rock oN:よく使われるプラグインやソフトシンセは?

深沼:最初は色んな製品を使っていたんですが、徐々に使う種類も絞られてきて、今ではコンプはWaves Renaissance Compressorをほぼ全チャンネルに使っています。他だと最近は、Digidesign Reel Tape Suiteが好きでよく使います。ギターは基本的にアンプ・シミュレーターで掛け録りします。色々と使ってきましたがLine 6 PODDigidesign Elevenに落ち着いていますね。

Rock oN:アンプで大きい音を出して録るという訳ではないんですね?

深沼:あれは騙されるんですよ。その場の音圧がいいと、録れた音もいいんじゃないかと思ってしまうんですが、そうじゃないんです(笑)。大きい音を出していい気分で弾いてても、プレイバックを聞いてがっかりしたこともありました。自分のプロデュース作品に関しては、アンプで録った音の弱点をラインと混ぜ、プラグインを使って調整することで補うこともしますが、自分の作品ではPODだけということも多いです。PODは長年使ってるので、どういう音を作れるか把握してるんです。その他のソフトシンセだと、Spectrasopnics StylusIK Multimedia SampleTank 2USB Plug SoundGForce M-Tronなどを使ってます。

~ DAWにマッチする作曲の発想スタイル ~

深沼:自分にとって楽曲の制作には、今のDAWを使ったスタイルが向いてます。僕の場合、普通のシンガー・ソングライターがやるような曲の頭から順にイントロ、Aメロ、Bメロ、サビ~みたいな作るやり方が出来ないんですよ。同時に3つくらいのパートを別々に思い付くので、その都度、それらを記録しておかないと覚えてられないんです(笑)。今やってるように、同時にいくつものプロジェクトを並行して行うタイプなんですね。

Rock oN:Mellowheadを始められたのは、そういう部分がご自分にあったからということですか?

深沼:そうですね。創作の思いつき方、発想の仕方がハードディスク・レコーディング的なんですね。時間軸を横にした発想じゃなく、縦向きとも言えるかもしれません。プレイグスでは、ギターリフがずっと続く上でメロディを展開させたりする曲もありましたが、ある種テクノ的なスタイルとも言えますね。

Rock oN:Mellowheadの新作「Daydream weaver」はバンドスタイルですね。

深沼:ここに来るまで、全部1度、打ち込みでアルバムを作り終えてるんですよ。「幻のアルバム」になりましたが(笑)。どうも今の自分の気分に合わなくて、曲の作り直しからやりました。ドラムはNONA REEVESの小松君、ベースはTRICERATOPSの林君にやってもらい、バンド編成で録り直しました。プリプロはこのスタジオでやったんですが、2人ともとても上手いプレーヤーなので、ドラムの打ち込みにしても小松君が叩きそうなフィルを自分で打ち込んでしまうほど、影響を受けていています。

今回のリズム録りはほぼ2テイク内でOKで、2日間スタジオを押さえたんですが1日で終わりそうになったので、初日を早く切り上げて終わらせたほどです。ドラムの打ち込みではBFDを使う事が多く、Logic上で打ち込んでADAT Bridge経由でPro Toolsに流し込むという手順でオーディオ録りしてるんですが、浅井さんがここに来られた時は、待ってる時間がもったいないということでドラムを流し込みながら同時にギターを重ねたこともありました。

あと、自分にとって欠かせないプラグインがSynchro Arts VocALign。あまり、まわりで使ってる人がいないんですが、ボーカルのダブリングをする時にタイミングの頭を強制的に揃えてくれます。コーラスを細かく調整するので、とても便利で重宝してます。ギターリフにも使うことがありますよ。

Rock oN:今後のご予定をお聞かせください。

深沼:「Daydream weaver」をリリースして、今、ツアーの最中ですが、ツアーが終わったらMellowheadの次作を1年以内で出せるように作り始めたいと思ってます。加えて、GHEEEが今年の秋頃にアルバムを出す予定です。夏には佐野元春さんのツアーにギターで参加します。色んなプロジェクトを同時にやってると、毎日の中で気分の変化があるので、リラックスしてやりやすい部分があります。曲のファイルを立ち上げると、「あっ、前回までは、こういうことを考えてやってたんだ。」ということが記録に残っているので、DAWのトータルリコール性が気分を切り替えてリフレッシュしてくれる助けになってますね。

Rock oN:最後にですが、深沼さんにとって音楽とはなんでしょう?

深沼:もともと、こんなに音楽を長くやるとは思ってなかったんですよ。最初は習い事の1つだったし、「誰かのようになりたい。」ということもなかったんです。でも幼い頃にいとこを通して、身近で音楽が作り出される瞬間を見る経験をしたのは、本当によかったですね。幼かった自分にとって、どんな市販のレコードよりも、目の前で音楽が作り出されること自体が「かっこいい。」と思えたんです。そういう経験もあって、今、音楽を作っていくことが自分の生活の一部になっていることが嬉しいですし、これからもそうであればいいなと思ってます。音楽を作ることがアーティスティックなことだと捉えてないんですよ。毎日、カジュアルに作って行きたいなと思っています。楽しむために始めた訳ですからね。

ロックバンドのフロントマンだった方なので「エゴのある方なのでは?」と予想したりもしたんですが、それに反して、いたって自然でナチュラルな深沼さん。音楽のきっかけである「目の前のいとこの演奏」という、極パーソナルな感動を大切にしてご自分の出発点とされているからかもしれません。「もっと大きい自分のスタジオを作りたいとか思いません?」といった質問に対しても、「自分の手の届く範囲の中で自由に自分らしい音楽を作れることに満足してる。」とおっしゃられてましたが、この音楽に対する、なにより誠実な姿勢が佐野元春さんや浅井健一さんといった先輩/ベテランミュージシャンの信頼に繋がっているのではないかと感じました。

このコーナーでは、音を作り出す活動をされている方の出演を募集しています。ミュージシャン、サウンドエンジニア、作曲家、アレンジャー、はたまた音効さんや声優さんなどなど。音楽機材に興味を持っているかたなら、なおOKです。お気軽に、下アドレスまでご連絡下さい。また、ご感想、ご希望等もお待ちしております。連絡先アドレス : store-support@miroc.co.jp

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